夜へ…


石本美由起先生の追悼会帰りのKUNICO姫からまるでウィッグのような真っ白なお花のアレンジメントをいただいた。(上等なボトルワインのような緑茶も)






石本先生の名作の数々。

美空ひばり「悲しい酒」
https://www.youtube.com/watch?v=zi1yedKi3FE … …

ちあきなおみ「矢切の渡し」
https://www.youtube.com/watch?v=FR1SqqpMQbY


でも、ちょうどタイムリーだったのは、こまどりさんの
「ソーラン渡り鳥」

https://www.youtube.com/watch?v=YsD9Dp5Ms4s






次に祖母の老人ホームで唄う選曲の中に入れてたとこだった。
この曲、聴いてるだけでわけもなく泣けてくる。
聴いてるだけで泣けてくるんだから、唄ってるときに涙をこらえるのは至難の技だ。


(最近では、この辛さがエクスタシーになっているのかもしれないなんてふと思ったりもする…。)

今は亡き平岡正明さんに、


「唄に感情移入しすぎて泣きながら唄う女は最低」というようなことを言われた
ことがあった。

「でも美空ひばりはいいの。『悲しい酒』では、いつも決まったところで、しっかりと涙を流すから。それは別格なの」
涙も芸の域ということだろうか。


今日はこれから平岡さんを偲ぶ食事会に出かけます。





平岡正明さんの「山口百恵は菩薩である」(四方田犬彦さんの編集による完全版・講談社より)発売記念会。
新橋の中華料理店「鴻運」
突然、スピーチしろと言われ、平岡さんとの思い出を話した後に席に戻ろうとした時、

中森明夫さんから「唄って!」と声がかかり、秋山道男さんのエアーギターで「天使の恍惚」主題歌を天国の平岡さんに向けて唄った。


平岡さんは青い部屋、横浜寿町、横浜のジャズフェス等、何度か私のライヴに足を運んでくださって、雑誌に紹介してくださったり、CDのライナーノーツも書いてくいただいた。


初対面の時に私が平岡さんの本を読んでいますと挨拶すると、「あっそう」というふうにスルーされたのだが、ライヴの後に「あんたが俺の本読んでると言ったのは嘘じゃなかったんだね」と言われた。社交辞令だと思われていたのか.…(笑)

平岡さんの文章は「誤爆」と言われている。例えば、私のときも
「雨の寿町で涙ながらに昔の名前で出ていますを唄った」と
平岡さんは書いているけど、昔の名前で出ていますは唄っていない。

平岡さんにその事を伝えると、「あっ、そうだっけ?てっきり唄ってたと思ったよ」とあっさり。

それでも自分も気がつかない事を気づかされることも多く、迷っているときや視界がぼやけているときは

平岡さんの文章に鼓舞されることも多かった。


2007年、足立正生監督の「幽閉者」の打ち上げ時
「アンタ、システムに飲み込まれたらつまらないよ!」と唐突に仰った。

そのすぐ後に偶然、「新宿コマ劇場が来年でなくなってしまうらしい」という噂を聞いて、
当時、契約していたレコード会社に真相を確かめたら「多分、なくならない」という返答がかえってきて、

このままではもう間に合わなくなると居ても立っても居られなくなった私は、
会社には何も言わずに勝手にひとりで動いて、紆余曲折ありながらも、
新宿コマ劇場に交渉しリサイタルを開く事が出来たのだった。

「アンタは組織で仕事をする人間じゃない」という平岡さんの言葉に背中を押されて、

その後幾度となく襲ってくるトラブルや人間関係、資金問題、魑魅魍魎に振り回されながら、

傷だらけになっても最後まで持ちこたえることが出来た。平岡さんは大恩人である。
   
(何かあるたびに平岡さんに相談していたのだが、その電話をいつもとりついでくださった奥様にも初めてお会いしてご挨拶することが出来た。)
    .






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エアーギターで盛り上げてくれた秋山道男さんは若松孝二監督の「ゆけゆけ2度目の処女」の主演俳優であり、

あの「ママ、ぼくもう出かける」というテーマ曲も唄われていて、
「天使の恍惚」の「ウミツバメ」「ここは静かな最前線」の作曲家でもある。

まだ、秋山さんと知り合っていなかった頃に平岡さんに「渚は秋山のオリジナルを聴いていないのに秋山の直伝を受けたかのように唄う、しかも必ず同じところで音程をはずす」

と言われていた。

その後も、

新宿区役所区長室での切腹事件の伊達政保さん(全日本冷やし中華愛好会)も
「謀略のブルース」(上杉清文作詞・杉田一夫作曲)→この曲を平岡さんはソノシートで吹き込んでいる。

『俺より他に神はなし』の大熱唱!



天国の平岡さんに届いたかな。










新宿ゴールデン街・汀に移動。

オジサンたち(お坊さん含む)が出たり入ったりの中、ふと外に出たところを

ふらーっと偶然に通りかかった小林のり一さんをキャッチ。

のり一さんはコメディアンで、舞台、TV、映画、漫画、お笑いをこなすマルな活動をされていて、
昭和を代表する喜劇役者の三木のり平さんの息子さんでもある。

上杉さんとは、四谷の「ホワイト」で飲んでいた頃から、25年ぶりの再会ということで、
びっくり、そして盛り上がり、あっというまに時間は過ぎていく。



真夜中にラーメン屋に移動してもオジサンたちが延々と喋り続けるので、

わたしはひとり、ギブアップ宣言。






平岡さんが澁澤龍彦について書いた文章が好きだった。

「血と薔薇」の編集長を引き継ぐ時に、開口一番

「きみは損するよ」と言われた話。

「澁澤龍彦は俠客である」と平岡さんは書いた。







平岡正明さんにはコマ劇場のリサイタルのパンフレットで対談していただいた。

コマの日程が決まってからの一年間、全く想定外の出来事が続き、
人間不信、疑心暗鬼に陥っていた。(今思うと自分不信)

今までレコード会社や事務所、プロのひとたちに支えられてやってきたことの有り難さが身にしみながら、
自分でやると決めた以上は、もう後にはひけない思いで毎日を過ごした。

時間はいくつあっても足りなくて、毎日打ち合わせやリハーサル、それに加えて、あんなこともこんなこともという雑事に追われていた。
  
そんな中での平岡さんの対談。
この日の平岡さんは一段とぶっとんでいて、ほとんど何を言ってるのかわからなかった…。

というより、人名も事実関係も殆ど間違えていた。
かき氷を食べながら、今のは合ってる!と今のは違う!とジャッジしながら三時間くらい、
平岡さんの壮大な宇宙にのみ込まれていくようで朦朧とし、頭の中が「ゲバゲバ」になっていった。




◎新宿ゲバゲバ対談  2008・7  ゴールデン街・汀(撮影・今溝協)


対談が終わり、平岡さんが汀を出て、ちょうど新宿駅に着いたかなというタイミングで物凄い雷と豪雨が降ってきたことを覚えている。

そして、後日、編集の方がまとめたゲラがあがってきてぞっとした。

当然、編集が入ってあきらかに平岡さんが間違えていることはある程度修正か削除されているものだと思っていたのに、文字になって出てきたものを読んでみたら、目眩がするほどで、

「いくらなんでもこれは平岡さんに見せられない」と思い、急場をしのいで、当日の記憶を辿り(テープを聞いてもしょうがないので)もうひとつのゲラを作りなおそうと思っていたら、タッチの差で平岡さんへのゲラがポストに投函された

と聞き撃沈。



 

 平岡さんが開封する前に一日でどうしてももうひとつのゲラを作りださなければと思い、

打ち合わせやリハーサルが終わった後に徹夜でなんとか作り出した。

翌日、また別件のトラブルが発生。そちらにかかりきりになって
いて、ゲラはそのままになったまま、夕方になり、森山大道さんの写真と宇川直宏さんのデザインのポスターの色

校正の確認のため、「サーヤ」の二階へ上がろうとした時に平岡さんからお怒りの電話。

「今、郵送されてきたゲラを見たのだが、いったいどういうことなんだ!

俺はあんな赤ちょうちん(?)みたいな対談はしていない!」と延々と続く。御自分で間違えられていた人名やその他もこの時点でははっきり間違いだと認識されていた。(俺はこんな事言ってないぞ!と…。)

「ギャァァア…」と思いながら、ひとしきり終わったあとに、
「私も平岡さんと同意見なので、昨日ゲラを作りなおしました」というと何とか平岡さんの怒りもおさまり、

後日、新しいゲラを読んでいただいた後に、「そうだよ、これだよ!」と納得されていた。
(実はこの対談では話していないけれど、以前に何度かお話したことも沢山いれてしまった。)

しかし、平岡さんも怒るのには無理もなく、「ゴールデン街では60年代、女の活動家たちが闘争資金を稼ぐ
(ゲバ棒を買ったり)ために始めた店も多かった。」という発言を、

何を思ったか当初のゲラには「売春宿をやってた」なんて書いてあって、

さすがに「おいおい…。」とあきれて脱力したことを覚えている。

体力も精神的にもぎりぎりだった地獄の季節も今となってはいい思い出だと思えてくる。





◎リサイタル当日、楽屋に訪ねてきてくださった平岡さんの笑顔。
(DVD「実録・新宿ゲバゲバリサイタル」のラストシーンに入れさせていただいた。)





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